主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

"include"を「含む」と訳していいケースは少ない

Asian countries including Japan...

big companies including GE and IBM...

 

といった文章をよく目にします。

この including を「含む」と訳して

 

「日本を含めたアジア諸国」

「GEやIBMを含めた大企業」

 

としても誤訳ではありません。

でも実はだいぶニュアンスが違うんですね。

 

 なぜなら、日本語の「含む」には、典型例ではないもの、例外的なものまでを含めて、というニュアンスがあるので、「◯◯を含めて」という時の◯◯は、オマケというか小さい存在、「まず第一には思い浮かべない存在」であるのが普通です。

 

「電子書籍を含めた新刊点数」(普通は「新刊点数」に電子書籍を含めない)

「ネットも含めた各種メディア」(「各種メディア」に当然ネットが含まれるならこうは書かない。逆に「テレビも含めた各種メディア」という文には多少違和感がある)

 

 一方で、英語の"include"は上記の「含めて」とまったく同じ使い方をすることもあるのですが、それより圧倒的多くは「典型例」「代表例」を示す時に使われるんですね。

 

だから冒頭の英文は、そのニュアンスにこだわって訳せば

 

「日本などのアジア諸国」

「GEやIBMを代表とする大企業」

 

となります。

 

 逆に、冒頭の訳のように

「GEやIBMを含めた大企業」

という書き方だと

(普通ならGEやIBMが「大企業」に含まれるかどうかは微妙だが、ここで言う「大企業」にはこの二社も含んでいますよ)

というニュアンスを読み取って、???と違和感を感じる人もいるでしょう。

 

 

 

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 私はずっとこの"including"を「含む」と訳しながら、なんだかモヤモヤした気持ち悪さを感じていたのですが、こうした違いをハッキリと理解できたのは

 

『英単語のあぶない常識』山岡洋一(ちくま新書)

 

を読んだおかげです。(上記の説明はすべて同書の受け売りです)

 

 この本はタイトルがすこし残念なのですが、「日本語と英語で意味の範囲がちがうため、ニュアンスのずれた翻訳がまかり通っている言葉」を30以上取り上げて、見事に分析した名著です。その一部を示すと

・AS WELL ASは「〜と同様に」か

・EXPECTは「期待する」か

・INDEEDは「実際」か

・SEVERALは「数個」か

・SIMPLYは「単純に」か

などなど・・・

 

英日翻訳に関わる人なら、一読して決して損しないと思います。

 

英単語のあぶない常識―翻訳名人は訳語をこう決める (ちくま新書)

英単語のあぶない常識―翻訳名人は訳語をこう決める (ちくま新書)

 

 

"incumbent"は「新興」企業に対する「既存」企業を指す

最近目につくな〜、と気になる単語の一つに

incumbent

があります。

 

辞書には「現職の」という意味しか出ていないのですが、

私が目にするのは100%例外なく

「既存の」(昔ながらの、歴史ある大手企業)という意味で使われています。

 

the incumbents (既存企業)

incumbent businesses

competition between incumbent and emerging technologies

 

 推測ですが、中国やインドなどの「新興企業」「新興市場」という存在や概念がこの20年ほどで新たに登場したことによって、emerging という言葉の使用頻度が高まりました。この反対語として、incumbentも使用頻度が高まったのではないでしょうか。

 上記の例文3つ目のように、emergingとかnew competitorとセットになって登場することが多いです。そのようなincumbentは「現職の」ではなく「既存の」という意味で、「新興」の対義語として使われています。

 

 なんかincumbentなんて単語は、見るからに固くて難しそうで、できれば使いたくないのでしょうが、emergingの反対を表す手頃な単語がないので、しようがなく使われている、というような気がします・・・・

 

"just a few clicks away"の意味は、2〜3回マウスをクリックするだけでわかる

テクノロジーがテーマの文章でよく目にする決まり文句に

 

just a few clicks away

 

があります。

 

Access to the universe of knowledge is just a few clicks a way.

Our fresh farm products are just a few clicks away. 

 

「わずか2〜3回クリックするだけで手に入る(わかる/できる)」

という意味です。

 

 ネット時代になって、モノでも情報でも、欲しいものがマウスクリック数回で入手できる手軽さを簡潔に表した、いい表現ではないでしょうか。

 英語的、というか、日本語にはない発想の表現ですね。わかりやすいですけど。

 

 

もともと

just a few @@@ away

は「もうちょっとで」という時に使われる定型表現で、

@@@には

sleeps

steps

seconds

days

weeks

questions

など、いろいろ入ります。

 

「あと数回@@@するだけで目的のものが得られるよ」という手軽さや期待感など、感情というか主観のこもった生き生きとした表現だと思います。

@@@がdaysならば

「数日先」

stepsなら

「数足先」

と簡潔に訳せるのですが、それ以外だと説明調の訳にならざるを得ません。

 たまに「数クリック先」なんて表現を見ますが、発想が日本語的でないので、すーっとは読めないですね。

 

 ネット時代になって@@@にclickも使われるようになったのは、非常にわかりやすく象徴的だと思います。

 

 とはいえ、テクノロジー関係の表現の宿命として、30年後も使われているかというとその可能性は低いかもしれません。下手すると小学生に「クリックってなに?」なんて聞かれるかも・・・

 2000年前後のITバブルの頃は、もういいってくらい"click and mortar"を目にしましたが、10年少々でこの表現も瀕死です。

 かくいう私も数年前にPCからマックに乗り換えて、マウスを使う機会がめっきり減りました。