主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

"work out of home"は、自宅で仕事をする「在宅勤務」の意味

私は今まで知らなかったのですが、

work out of (one's) home

というのは

「自宅で仕事をする」

という意味の定型表現です。

 

"out of 〜"

には、「〜から外に出る」という意味があるので

「家を出て外で働く」という意味かと間違えそうですし、さらに

work out

という表現もよく使われるので、定型表現としておぼえておかないとなんだか混乱しそうですね。 

したがって、

work out of my hotel room

といえば、出張先などホテルの部屋で仕事をすることを指します。 

どうもこの場合の"out of"は、"from"に近い意味を持つ使い方みたいですね。

 

ところが、

"work(ing) out of the office"

という表現は

「オフィスで仕事をする」

ではなく

「オフィスから出て他の場所で仕事をする」

という意味なのです!

つまりこの場合は"out of"が「〜から外に出る」の意味で使われているのです。

なんともややこしいのですが、おそらく通常は働くと言えばオフィスが当然なので、

ただ"work"でなく、わざわざ"work(ing) out of the office"と書く時は

「オフィスから外へ」

になるのです。

この場合、〝いつもの決まり切ったオフィス〟という意味をだすために、"the"がつくのでしょうね。

 

 

ちなみに「在宅勤務」を表す別の表現に

telework

もあります。

"teleworking"もよく見かけるので、この単語は名詞かつ動詞みたいです。

 

私もそうですが、通信環境の発達と低コスト化、グローバル化などにより、在宅勤務は今後ますます増えるでしょうね。

"resource"の訳は時には「ヒト・モノ・カネ」でもいい

翻訳者の実力が試される単語、というのがあると思います。

例えば

resource

はその一つでしょう。

 

一般的には石油やガスなどの「資源」であり、より広くは水や生物種、さらには「観光資源」などもあります。

コアの意味としては「(国などが所有する)価値を生み出す源」ですね。

 

また、組織が所有する"resource"としては、資金や人材などの「経営資源」もあります。人事部や人材は"Human Resource"と表現されます。

 

さらに〝(個人が所有する)イザというとき頼れる方法〟という意味も持ち、「手段」「機転」「方策」といった訳語も辞書には必ず出ています。

War is our only resource.

 

さて、会社組織やビジネスに関して、この"resource"はかなりよく使われるのですが、つい「資源」という訳語になりがちです。

しかしこの日本語は石油のような天然資源のイメージが強すぎるため、どうしても形あって売り買いできるモノ、という印象を与えます。

実際には、時間や労力、人手の余裕など、無形のものを指すケースも多く、そのような場合は「資源」という訳語はしっくりとしないのです。

ここで悩まずに、条件反射のように「資源」と訳すのでは、翻訳者としての付加価値は低いでしょう。

「資源」という日本語には含まれないニュアンス、「組織が何かを成し遂げるために必要とするパワーの源泉」 を、なんとか短く適切な日本語に置き換えたいものです。

 

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例えば組織の一部門についてなら、全社的イメージのある「経営資源」も使えないため、

The marketing section had not sufficient resources.

「マーケティング部門には十分な人手も時間もなかった」

または

「ヒト・モノ・カネが足りなかった」

 と訳すのもアリだと思います。

 

よくマネジメントの仕事として

resource allocation

が出てきますが、これも

「資源配分」

とするより、文脈によっては

「経営資源の割り当て」

「ヒト・モノ・カネの適切な配分」

としたほうがいいかもしれません。

 

蛇足ながら私は「人的資源」という言葉が好きになれません。

すでに日本語として定着していますが、いかにも翻訳調であり、生々しい人々の働く姿がイメージできず、どうも言葉として上滑りしているように感じられるからです。まあ、他に適切な言葉がないから使ってしまうんですけどね・・・

 

"more than"を「以上」とするのは誤訳か?

数の習慣的な扱い方は日英でけっこう違うので面倒くさいです。

 

例えば

「日本では何歳から大人とみなされますか」

という質問に、日本語なら

「20歳以上です」

と答えるのが自然です。

「大人」の最小年齢を引き合いにだすわけです。

 

ところが同じ内容を英語で表現すると

"over 19 years old" (are considered as adults)

ですね。

「大人」でない最大の年齢を用いて説明するのです。

 

ある範囲の数字を表すとき、日本語では「含まれる最小(最大)の数」を使い、

英語では「含まれない最大(最小)の数を使う」

という習慣があるようです。

 

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「Xより小さい」という表現の場合、日本語だと「以下」と「未満」の両方を日常的に使うので、

「5歳未満の子供は乗れません」

「4歳以下の子供は乗れません」

と両方の書き方が可能ですが、英語で表現しようとすると

Kids under the age of 5 may not ride. (5歳はOK)

という「未満」の表現しかありません。

どうしても

5歳以下はダメ」

と表現したい時には

Kids aged 5 and under (may not...)

と書きます。

良く見かける「U 30 Party!」(アンダー・サーティ)には30歳の人は参加できません・・・

つまり、範囲を表すとき、文章に出てくる数は含まないのが基本みたいです。

 

 

さて、ここからが本題です。

新聞の見出しなどでよく

Over 100 People (were) Killed

More Than $3 Million Lost 

なんて表現を目にしますが、これを正確に訳せば

「101人以上」

「3百万1ドル以上」(または「3百万ドル1セント以上」?)

ですね。もちろんこんな表現はめちゃくちゃ違和感があるので、普通は

「100人が死亡」

「3百万ドルを超える損失」

と訳します。

「超」を使えば、「>100」、「>3百万ドル」という意味になるので誤訳にならないわけです。

 

しかし、実質的にこの英文に死者100人と101人の違いがあるでしょうか?

損失額が300万ドルなのか300万1ドルなのか、そこにこだわる意味はあるでしょうか?

ないですよね。

ですから、「100人超が死亡」という日本語の「超」にかすかに残る違和感をなくすため、

「100人以上が死亡」

と訳すことも、ケースバイケースでありだと私は考えます。

 

もちろん、冒頭の例のように、

「20歳以上」か「19歳以上」かで大きく意味が違ってくる場合には、こんな乱暴な訳し方はできません。

しかし桁違いに大きな数、数千とか数百万とかの話になった場合、文脈によっては

"more than"や"over"をあえて「以上」と訳してもいいのではないでしょうか? 

 実質的な意味のない数値の正確さにこだわるより、「境界となる数を含めて表記する」という日本語として自然な表現を優先する、という判断をしていいケースも時にはあると思うのです。「厳密に言えば誤訳」をあえてするのは勇気が要りますが、大学入試ではない「商売としての翻訳」ならば、そこまでするのがおカネをもらうプロの仕事だと思います。