主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

"a"か"the"か「なし」か──冠詞についての考察(1)

 Amazonで「冠詞」と検索すると、冠詞についての参考書や研究書がずらっ〜と登場します。

 それだけ日本人にとって「わかりにくく、奥が深い」のが冠詞なのでしょう。

 私も翻訳をするようになって、ずいぶん冠詞を意識するようになり、冠詞に悩まされたり助けられたりしてきました。

 それで思うのは

冠詞は日本語の「てにをは」に似ていて、いちおう後付けの理屈はあるけど最後は感覚

ということです。

 この「感覚」というのは、長期間、日常的に英語を話したり読んだりの繰り返しで自然に身につくものです。

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日本人なら誰でも

「僕は食べない」はいいけど、「僕が食べない」はヘン

「家に行く」はいいけど、「家へ行く」は珍しい言い方

とわかるでしょう。「理屈では説明できないけどヘン」というのは、その言葉が使われる実例を数千回、数万回、という次元で耳にしたことで身につく感覚なのです。

 

 それを理解したうえで、外国語として英語を学ぶための「後付けの理屈」を自分なりにまとめると、

 

"the"── いちばん簡単で、使われる理由がはっきりしている。

 1)世界に一つしかないもの  (the Internet)

 2)限定されるもの (the contents of this book) 

 3)既出で聞き手が知っているもの (the boy)

 4)抽象的に「◯◯というもの」を指す場合 (the dog is classified as ...)

 

"a"── 「同種のものは多数あるけど、その中で特別の意味はないけど具体的なひとつ」というのが原意

 1)特定しないひとつのものにつく (a boy) 

   ただし、少年が一人でなく二人なら"boys" 。機能面では"a"と複数形の"s"は同じ働きをする。

 2)"one"の代わり (a cup of coffee,  once a week)

 3)初登場のものを示すマーク (There was an old man. He.....)

   "A friend of mine..."という言い方をよく目にするのですが、以前は『なんで"My friend"と言わないであえて長い言い方をするんだろう?』と不思議でした。この理由はおそらく、「(初めて登場するけど)ある友達がいてね・・・」というニュアンスを出すために最初に"a"を付けたいのでしょう("a my friend"とは言えないので、"my"は後ろにまわって補足する)。いきなり"My friend...."と話し出すと「どの友達?」という唐突な感じがするからだと思います。

 <追記>

 ふと思い付いた理屈ですが、"A mother of mine"という言い方は普通しないですよね。誰でも母は一人しかいないので、最初から"My mother..."で違和感はないのです。ところが最初から"My friend..."と話し出すと、暗に友達は一人しかいないというニュアンスになります。(例えば結婚して義理の母=二人の目の母がいる、などという文脈なら”a mother of mine”も使います。例えば父親に対して"Any wife of yours is a mother of mine"など)

 

 「なし」──理屈というより慣習なので難しいことが多い

 1)例外的な不可算名詞(uncountable)の場合 (I need some information)

  2)慣用句に近い決まった表現の場合 (go to school , by car, play chess)

 

 

 さて、最近は時間があるので話題の本を読んでいます。

 

The Inevitable: Understanding the 12 Technological Forces That Will Shape Our Future

The Inevitable: Understanding the 12 Technological Forces That Will Shape Our Future

 

  多くの名著がそうであるように、複雑で抽象的なことを非常に簡単で読みやすい英語で書いてあります。すでに日本語訳(『インターネットの次に来るもの』)が出てますが、あえて原書で読むのもいいかもしれません。

 

 この本の43ページに、まさに冠詞の使い方の標本みたいな一文があったので引用します。AI(人工知能)について触れている文脈なのですが、

they (=AIs) can accomplish tasks ── such as playing chess, driving a car, describing the contents of a photograph ── that we once believed only human could do...

『AIは、チェスの対戦や自動車の運転、写真の内容説明といった、かつては人間にしかできないと思われていた作業をやってのけることができるのだ』

・チェスの無冠詞は「決まった表現」

・"driving a car" は、どのクルマと特定していないから"a"

・"the contents of a picture"は、どの写真でもいいので"a"、でもその写真の中身は一つに限定されてるから"the"

 

なのだと思います。

 

"work out of home"は、自宅で仕事をする「在宅勤務」の意味

私は今まで知らなかったのですが、

work out of (one's) home

というのは

「自宅で仕事をする」

という意味の定型表現です。

 

"out of 〜"

には、「〜から外に出る」という意味があるので

「家を出て外で働く」という意味かと間違えそうですし、さらに

work out

という表現もよく使われるので、定型表現としておぼえておかないとなんだか混乱しそうですね。 

したがって、

work out of my hotel room

といえば、出張先などホテルの部屋で仕事をすることを指します。 

どうもこの場合の"out of"は、"from"に近い意味を持つ使い方みたいですね。

 

ところが、

"work(ing) out of the office"

という表現は

「オフィスで仕事をする」

ではなく

「オフィスから出て他の場所で仕事をする」

という意味なのです!

つまりこの場合は"out of"が「〜から外に出る」の意味で使われているのです。

なんともややこしいのですが、おそらく通常は働くと言えばオフィスが当然なので、

ただ"work"でなく、わざわざ"work(ing) out of the office"と書く時は

「オフィスから外へ」

になるのです。

この場合、〝いつもの決まり切ったオフィス〟という意味をだすために、"the"がつくのでしょうね。

 

 

ちなみに「在宅勤務」を表す別の表現に

telework

もあります。

"teleworking"もよく見かけるので、この単語は名詞かつ動詞みたいです。

 

私もそうですが、通信環境の発達と低コスト化、グローバル化などにより、在宅勤務は今後ますます増えるでしょうね。

"resource"の訳は時には「ヒト・モノ・カネ」でもいい

翻訳者の実力が試される単語、というのがあると思います。

例えば

resource

はその一つでしょう。

 

一般的には石油やガスなどの「資源」であり、より広くは水や生物種、さらには「観光資源」などもあります。

コアの意味としては「(国などが所有する)価値を生み出す源」ですね。

 

また、組織が所有する"resource"としては、資金や人材などの「経営資源」もあります。人事部や人材は"Human Resource"と表現されます。

 

さらに〝(個人が所有する)イザというとき頼れる方法〟という意味も持ち、「手段」「機転」「方策」といった訳語も辞書には必ず出ています。

War is our only resource.

 

さて、会社組織やビジネスに関して、この"resource"はかなりよく使われるのですが、つい「資源」という訳語になりがちです。

しかしこの日本語は石油のような天然資源のイメージが強すぎるため、どうしても形あって売り買いできるモノ、という印象を与えます。

実際には、時間や労力、人手の余裕など、無形のものを指すケースも多く、そのような場合は「資源」という訳語はしっくりとしないのです。

ここで悩まずに、条件反射のように「資源」と訳すのでは、翻訳者としての付加価値は低いでしょう。

「資源」という日本語には含まれないニュアンス、「組織が何かを成し遂げるために必要とするパワーの源泉」 を、なんとか短く適切な日本語に置き換えたいものです。

 

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例えば組織の一部門についてなら、全社的イメージのある「経営資源」も使えないため、

The marketing section had not sufficient resources.

「マーケティング部門には十分な人手も時間もなかった」

または

「ヒト・モノ・カネが足りなかった」

 と訳すのもアリだと思います。

 

よくマネジメントの仕事として

resource allocation

が出てきますが、これも

「資源配分」

とするより、文脈によっては

「経営資源の割り当て」

「ヒト・モノ・カネの適切な配分」

としたほうがいいかもしれません。

 

蛇足ながら私は「人的資源」という言葉が好きになれません。

すでに日本語として定着していますが、いかにも翻訳調であり、生々しい人々の働く姿がイメージできず、どうも言葉として上滑りしているように感じられるからです。まあ、他に適切な言葉がないから使ってしまうんですけどね・・・