主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

ダッシュで逃げるのは悪ガキだけではない

 "──"のことです。

 最初と最後を"──"で囲んで、追加情報的な文や言葉を挿入します。 

 

Ordinary people ── like you and me  ──  do not have private jets.

 

 わざわざ関係代名詞を使ったり、二つの文に分けたりするほど大げさにしたくない、ちょっとしたついでの一言、みたいな使われ方をします。

 インフォーマル、とされていますが、それなりに堅そうな文章でもひんぱんに目にします。

 

 英語でダッシュを使うことの是非は置いておいて、これを日本語に訳す時、そのままダッシュを同じように使うと非常にラクチンです。

 

「普通の人々──あなたやわたしのように──は、プライベート・ジェットなど持っていない」

 

 とはいえ、意味は通じますが、やはり日本語としてかなり違和感が残ります。

 

 ダッシュで挿入される部分が、上記の例のように短くなく、かなり長くて複雑なこともあります。そんな時は、訳でもダッシュを使うと本当に楽なんです。

 そのせいか、ダッシュを多用している訳文を見ることもけっこうあります。しかし何度も出てくると、あきらかに日本語として不自然であり、いかにも翻訳調ですよね。

 一方、名翻訳者といわれる方々の訳文を見ると、ほとんどダッシュにお目にかかりません。やはり、自然な日本語になるよう、「ダッシュ逃げ」をしないできちんと対策しているんですね。

 

 ケースバイケースですが、ダッシュでなく()でくくるだけでもずいぶん違和感は減ります。挿入される文章が長い場合は、バランスを考えながらも二つの文に訳し分ける方法もあるでしょう。または、文が長くなるデメリットはあるものの、ダッシュなしの一文にまとめることも可能でしょう。

 怖いのは、この「ダッシュ逃げ」を多用していると、感覚がマヒしてそれほど不自然と思えなくなることなんですね。しまいには、原文でダッシュがない時でも日本語訳でダッシュを使いたくなってきます・・・・

 

 私は訳し終わった後で自分の翻訳を読み直しますが──この作業は非常に大事だと思います──ダッシュの多さに毎回ため息が出ます。せめて一章に一つ──それが無理なら数ページに一回──を目標にしたいです。