主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

youを「あなた」と訳すのは誤訳?

前回のエントリーに引き続き、

もう一つ、英語と日本語の最大の違いを挙げるとすれば、

 

「英語は人称代名詞なしでは会話や文章が成立しないが、日本語では使わないほうが自然」

 

という点があるように思います。特に二人称ですね。

 

人称代名詞とは、Iとかyouとかhe/sheなどです。

英語はこれらの代名詞がないと文章が成立しません。

「彼のこと、知ってる?」

とは言えても

Know him? 

という英語はまずないでしょう。必ず

Do you know him?

となります。英語は主語(代名詞)を省略できないからです。

 

一方、日本語の人称代名詞は、「私」「あなた」「彼」「彼女」ですが、普通の日本語では

 「あなた」 = 妻が夫に対して呼びかける言い方

 「彼」「彼女」 = 恋人のこと

という含みがまずあるうえに、二人称は自分と相手の関係によって変わってくる大事な言葉です。相手の代名詞にどの言葉を選ぶかによって人間関係が変わるほど意味が大きいのです。「君」「おまえ」「あんた」「そちら様」・・・

 そんな判断をいちいちするのは面倒ですから、普通はなるべく二人称を使わず、つまり主語を省略して話そうとしますよね。「明日の会議には出席されますか?」など。

 どうしても相手を指定する必要があるときは、人称代名詞ではなく、肩書きや固有名詞を使うのが自然です。

「部長は出席しますか?」

「先生はどうしますか?」

「ボクはどうする?」

このとき、二人称代名詞で

「あなたは出席しますか?」

なんて聞いたら、第三者は「いったいこの二人はどういう関係?」と思うでしょう。

 一方、英語ではこれらの代名詞は完全に無色透明で何のニュアンスも含まない記号です。

 相手が上司だろうが息子だろうが、相手はyouであり、失礼とか馬鹿にしているとかの判断材料になりません。相手と自分の関係によって左右されない記号なのです。 大統領に敬意を表して"Mr.President "と呼びかけても、次の言葉は"Do you think 〜?"でしょう。

 

 さらに英語は、一般論を述べる場合でもyouをよく使います。話し相手や読者をぐっと引き込む効果があるからでしょうか。

 

If you hit a policeman, you will be in a big trouble.

 

これは「警官を殴れば大変なことになる」という一般論を述べています。

これを「もしあなたが警官を殴れば、あなたは大変な目に合う」と訳したら、ほとんど誤訳になります。普通なら使わない「あなた」をあえて使っていることで、特別な意味が生まれるからです。「あなた以外の人は警官を殴っても問題ないけど・・・」という言外の意味を持ってしまうのです。

 ですから、英日翻訳する際は、なるべくyouを訳さない、もしくは肩書きや名前に置き換えるのがコツだと思います。