主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

とても重要なのに、学校で習う英語では決して教えてもらえないこと(1)

 とても重要なのに、学校で習う英語では決して教えてもらえないことがいくつもあると思います。

 例えば<句動詞>という非常に分かりにくい日本語名を付けられたphrasal verbeはその代表でしょう。(これについては後日書きたいと思います)

 それとは別に、意外と盲点だなと思うのが、そのトピックの中心となっている名詞(主役)について、

 

「英語はなるべく毎回違う言葉で表現しようとする。日本語はなるべく毎回同じ言葉で表現しようする」(話し言葉ではなく文章の場合)

 

ということです。

 具体例で言えば、<オバマ大統領>についての長い文章があったとしましょう。その文章の主役である<オバマ大統領>は文中に何度も登場するわけですが、登場する度に呼び方が変わることは珍しくありません。

 

President Obama

The president

President of the United States

The first African-American president of the USA

The husband of Michel Obama

This tall lean guy

・・・・

 

 "President Obama"という呼び方を何度も繰り返さないため、あの手この手で呼び方を変えるのです。毎回別の呼び方はしないかもしれないけど、少なくとも10回も続けて"President Obama"と呼ぶことは少ないでしょう。もしそのような文章だと、「文章が下手」「堅い」という感じがします。

 私は英語学者ではないので、この理由は知りませんし、あまり興味もありません。ただ、これは「法則」と言ってもいいくらい広く見られる現象だと思います。

 呼び方をどう変えるかに特別の意味はありません。"The husband of Michel Obama"と表現したからと言って、その文脈だけミシェルとの関係を暗にほのめかしているわけではないのです。「同じ呼び方を繰り返さない」ことだけに意味があるのです。

 

 さて、日本語に翻訳する場合、何が問題となるかというと、「日本語では主役の呼び方を何度でも同じ言葉で繰り返すことが自然だ」という点です。

 オバマが主役の文章であれば、50回連続で「オバマ大統領」という言葉が出てきてもまったく問題ありません。むしろ、「オバマ大統領は・・・」と書くべきところを

「ミシェル・オバマの夫は・・・」

「この引き締まって背の高い男は・・・・」

と書くと、あえてこのような表現をしたことで特別の意味が生まれてしまいます。

 

「ミシェル・オバマの夫は・・・」(ミシェルの母親と仲が悪い、というようなエピソードが出てきそうだな・・・)

「このスリムで背の高い男は・・・・」(次に、太った小男が登場するのだろうか?)

 

 ですから、話の主役に関しては、英語でいろいろと表現を変えた呼び方をしていても、日本語ではすべて一通りの表現に統一してしまったほうが読者にとって分かりやすいと思います。