主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

重力波を観測したぞ!

 今日、100年前にアインシュタインが予言した「重力波(gravity waves)」が実際に観測された、というニュースが流れました。

 NHKによると

研究チームを率いるカリフォルニア工科大学のデビッド・ライツィー教授は会見の冒頭で「重力波を観測したぞ!」と叫び、喜びを表していました。

 

 宇宙や物理に多少関心のある私は、このニュースを興味深く読んでいたのですが、ふと

 

「観測したぞ!」というのは英語でどういう動詞を使ったのだろう?

 

という疑問を持ちました。

find?

observe?

track?

identify?

 

 さっそくABCニュースのホームページで会見の様子を見てみたところ、

 

"We have DETECTED gravitational waves. We did it !"

 

と言っていました。(下記リンク先、1分30秒あたりです)

abcnews.go.com

 

 

 なるほど。そこで"detect"を英英辞書で調べると、「簡単には見つからないものを、特別の方法や道具で見つける」というニュアンスがあるのですね。

 

 ところでNHKの記事には「叫んだ」とありますが、映像を見るとまったく叫んでいません(汗

 むしろ興奮を意識的に抑えた口調で、学者らしい冷静さを演出していたように思います。つまらないことですが、やはりなんでもオリジナルに当たることは意味があるな、、、と実感しました。

 

 

 

"include"を「含む」と訳していいケースは少ない

Asian countries including Japan...

big companies including GE and IBM...

 

といった文章をよく目にします。

この including を「含む」と訳して

 

「日本を含めたアジア諸国」

「GEやIBMを含めた大企業」

 

としても誤訳ではありません。

でも実はだいぶニュアンスが違うんですね。

 

 なぜなら、日本語の「含む」には、典型例ではないもの、例外的なものまでを含めて、というニュアンスがあるので、「◯◯を含めて」という時の◯◯は、オマケというか小さい存在、「まず第一には思い浮かべない存在」であるのが普通です。

 

「電子書籍を含めた新刊点数」(普通は「新刊点数」に電子書籍を含めない)

「ネットも含めた各種メディア」(「各種メディア」に当然ネットが含まれるならこうは書かない。逆に「テレビも含めた各種メディア」という文には多少違和感がある)

 

 一方で、英語の"include"は上記の「含めて」とまったく同じ使い方をすることもあるのですが、それより圧倒的多くは「典型例」「代表例」を示す時に使われるんですね。

 

だから冒頭の英文は、そのニュアンスにこだわって訳せば

 

「日本などのアジア諸国」

「GEやIBMを代表とする大企業」

 

となります。

 

 逆に、冒頭の訳のように

「GEやIBMを含めた大企業」

という書き方だと

(普通ならGEやIBMが「大企業」に含まれるかどうかは微妙だが、ここで言う「大企業」にはこの二社も含んでいますよ)

というニュアンスを読み取って、???と違和感を感じる人もいるでしょう。

 

 

 

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 私はずっとこの"including"を「含む」と訳しながら、なんだかモヤモヤした気持ち悪さを感じていたのですが、こうした違いをハッキリと理解できたのは

 

『英単語のあぶない常識』山岡洋一(ちくま新書)

 

を読んだおかげです。(上記の説明はすべて同書の受け売りです)

 

 この本はタイトルがすこし残念なのですが、「日本語と英語で意味の範囲がちがうため、ニュアンスのずれた翻訳がまかり通っている言葉」を30以上取り上げて、見事に分析した名著です。その一部を示すと

・AS WELL ASは「〜と同様に」か

・EXPECTは「期待する」か

・INDEEDは「実際」か

・SEVERALは「数個」か

・SIMPLYは「単純に」か

などなど・・・

 

英日翻訳に関わる人なら、一読して決して損しないと思います。

 

英単語のあぶない常識―翻訳名人は訳語をこう決める (ちくま新書)

英単語のあぶない常識―翻訳名人は訳語をこう決める (ちくま新書)

 

 

"incumbent"は「新興」企業に対する「既存」企業を指す

最近目につくな〜、と気になる単語の一つに

incumbent

があります。

 

辞書には「現職の」という意味しか出ていないのですが、

私が目にするのは100%例外なく

「既存の」(昔ながらの、歴史ある大手企業)という意味で使われています。

 

the incumbents (既存企業)

incumbent businesses

competition between incumbent and emerging technologies

 

 推測ですが、中国やインドなどの「新興企業」「新興市場」という存在や概念がこの20年ほどで新たに登場したことによって、emerging という言葉の使用頻度が高まりました。この反対語として、incumbentも使用頻度が高まったのではないでしょうか。

 上記の例文3つ目のように、emergingとかnew competitorとセットになって登場することが多いです。そのようなincumbentは「現職の」ではなく「既存の」という意味で、「新興」の対義語として使われています。

 

 なんかincumbentなんて単語は、見るからに固くて難しそうで、できれば使いたくないのでしょうが、emergingの反対を表す手頃な単語がないので、しようがなく使われている、というような気がします・・・・