主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

最近よく見る"playbook"は要するに「定石集」かつ「マル秘作戦ノート」

ビジネス分野の英文で最近ひんぱんに見かける言葉に

playbook

があります。

 

辞書には

「台本/脚本」

「キャンペーンの計画書」

「アメフトで使う作戦ノート」

などとありますが、どれもしっくりきません。

 

There is no playbook to tell you what to do.

They rewrote the playbook in financial services.

develop their own playbook

 

まあ、「戦略・作戦・計画」ではあるのですが、どうも単体の作戦ではなく、

「こういう場合はこの戦略」

と細かく書き込まれた、経験に基づく手作りの「定石集」というイメージですね。

 

語源であるアメリカンフットボールの"playbook"とは、さまざまなフォーメーションごとに相手の動きに合わせた対抗策が詳細に記された作戦ノートで、選手は試合前にそれを頭に叩き込んでおく必要があるそうです。

たんなる「定石集」ではなく、部外秘の手作り感があります。

 

オンライン辞書には、簡単ではありますが次のような定義が出ています。

a set of ​rules or suggestions that are considered to be suitable for a particular ​activity, ​industry, or ​job: (Cambridge Dictionaries Online)

3. A set of tactics frequently employed by one engaged in a competitive activity. (The Free Dictionary)

 

やはり単体の戦略・作戦ではなく、それらを集めた「セット」であるところがポイントですね。

以下のウェブサイトには、ビジネス文脈でのplaybookが何を指すのか、詳細に説明があります。

www.accenture.com

 

 大手コンサル企業のサイトでこんな解説がなされているということは、英語圏でも比較的新しい概念、言葉なのでしょう。 

 

 さて、この言葉にふさわしい日本語訳としてはどんな言葉があるでしょうか?

「戦略集」

「定石集」

「作戦ノート」

いずれも間延びしていてピンときませんね。

かといって「プレイブック」では意味不明で翻訳と言えません。

今のところ、ケースバイケースで文脈に合わせて

「定石」「18番」「ルール」「常套手段」「決め技」

などと訳していくしかなさそうです・・・

スラングの"hack"は「難題にうまく対処するコツ」

シリコンバレーの著名人のインタビューを訳していたら

 

how to hack the challenge

they know a lot of hacks

 

といった表現をしていました。

一つ目は動詞、二つ目は名詞ですね。

 

"hack"はもともと

「斧でたたき切る」

「切り刻んで台無しにする」

なんて意味でしたが、コンピュータ用語として

 

「プログラムや機械を改造する」

「システムに不法侵入する」

 

という意味のほうが圧倒的に多く目にするようになりました。

「ハッキング」や「ハッカー」は日本語化したと言ってもいいでしょう。

 

この言葉はそこからさらに一歩進化して

 

「難しいことを巧みに解決する(方法)」

 

という使い方をされるようになっているみたいです。

日本語でも「ライフハック」なんて言葉をネットでよく見かけますね。

 

こんな新しい定義はもちろん紙の辞書には出ていませんが、オンラインの辞書には出ています。

例えば

Urban Dictionaryでは

a clever solution to a tricky problem

 

The Free Dictionaryでは

(Slang) To cope with successfully; manage

 

などと定義されてます。

日本語で一番近い言葉は「コツ」ではないでしょうか。

 

このようにネットやコンピュータ関係の言葉はやはり進化が早く、新しい意味がすぐに生まれるようですね。

"the art and science"は「教養課程」ではなく「理論と実践」

いわば定型句のような使い方で

 

the art and science of ◯◯◯

 

という表現をよく目にします。

(順序が逆で"the science and art"もアリ)

 

この場合、scienceは「科学」というよりも「体系化された理論、理屈」であり

artは「芸術」というよりも「理論化できない技、術、勘、職人芸」みたいなものです。

相反する二つをセットにした定型句で、"the" はこの二つをセットにまとめています。

 

この二つをまとめないで

 

Is management an art or science?

Cooking: Art or Science?

 

なんて表現もよく見ます。

「理論」なのか「勘・個人の技」なのか? ということですね。

 

ですから私は、"the"でセットになった"the art and science"の訳としては、多少意訳ながら

「理論と実践」

がぴったりではないかと思います。相反する二つをセットにしてるわけですから。

より厳密に訳せば

「理論と実務」

「理論と技術」

なんてのもありかもしれません。

 

一方、二つをまとめないで複数形にした

arts and science(s)

という表現もあり、これは学問分野としての「人文科学(arts)と自然科学(sciences)」、または「文系と理系」「(まとめて)教養課程」を指すようです。

 

結局、"science"は「体系化された理論」「科学」でぴったりなのですが、「理論化できない職人芸」を意味する"art"のほうはぴったり対応する日本語がないのでややこしくなるのでしょうね