主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

"more than"を「以上」とするのは誤訳か?

数の習慣的な扱い方は日英でけっこう違うので面倒くさいです。

 

例えば

「日本では何歳から大人とみなされますか」

という質問に、日本語なら

「20歳以上です」

と答えるのが自然です。

「大人」の最小年齢を引き合いにだすわけです。

 

ところが同じ内容を英語で表現すると

"over 19 years old" (are considered as adults)

ですね。

「大人」でない最大の年齢を用いて説明するのです。

 

ある範囲の数字を表すとき、日本語では「含まれる最小(最大)の数」を使い、

英語では「含まれない最大(最小)の数を使う」

という習慣があるようです。

 

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「Xより小さい」という表現の場合、日本語だと「以下」と「未満」の両方を日常的に使うので、

「5歳未満の子供は乗れません」

「4歳以下の子供は乗れません」

と両方の書き方が可能ですが、英語で表現しようとすると

Kids under the age of 5 may not ride. (5歳はOK)

という「未満」の表現しかありません。

どうしても

5歳以下はダメ」

と表現したい時には

Kids aged 5 and under (may not...)

と書きます。

良く見かける「U 30 Party!」(アンダー・サーティ)には30歳の人は参加できません・・・

つまり、範囲を表すとき、文章に出てくる数は含まないのが基本みたいです。

 

 

さて、ここからが本題です。

新聞の見出しなどでよく

Over 100 People (were) Killed

More Than $3 Million Lost 

なんて表現を目にしますが、これを正確に訳せば

「101人以上」

「3百万1ドル以上」(または「3百万ドル1セント以上」?)

ですね。もちろんこんな表現はめちゃくちゃ違和感があるので、普通は

「100人が死亡」

「3百万ドルを超える損失」

と訳します。

「超」を使えば、「>100」、「>3百万ドル」という意味になるので誤訳にならないわけです。

 

しかし、実質的にこの英文に死者100人と101人の違いがあるでしょうか?

損失額が300万ドルなのか300万1ドルなのか、そこにこだわる意味はあるでしょうか?

ないですよね。

ですから、「100人超が死亡」という日本語の「超」にかすかに残る違和感をなくすため、

「100人以上が死亡」

と訳すことも、ケースバイケースでありだと私は考えます。

 

もちろん、冒頭の例のように、

「20歳以上」か「19歳以上」かで大きく意味が違ってくる場合には、こんな乱暴な訳し方はできません。

しかし桁違いに大きな数、数千とか数百万とかの話になった場合、文脈によっては

"more than"や"over"をあえて「以上」と訳してもいいのではないでしょうか? 

 実質的な意味のない数値の正確さにこだわるより、「境界となる数を含めて表記する」という日本語として自然な表現を優先する、という判断をしていいケースも時にはあると思うのです。「厳密に言えば誤訳」をあえてするのは勇気が要りますが、大学入試ではない「商売としての翻訳」ならば、そこまでするのがおカネをもらうプロの仕事だと思います。

最近よく見る"playbook"は要するに「定石集」かつ「マル秘作戦ノート」

ビジネス分野の英文で最近ひんぱんに見かける言葉に

playbook

があります。

 

辞書には

「台本/脚本」

「キャンペーンの計画書」

「アメフトで使う作戦ノート」

などとありますが、どれもしっくりきません。

 

There is no playbook to tell you what to do.

They rewrote the playbook in financial services.

develop their own playbook

 

まあ、「戦略・作戦・計画」ではあるのですが、どうも単体の作戦ではなく、

「こういう場合はこの戦略」

と細かく書き込まれた、経験に基づく手作りの「定石集」というイメージですね。

 

語源であるアメリカンフットボールの"playbook"とは、さまざまなフォーメーションごとに相手の動きに合わせた対抗策が詳細に記された作戦ノートで、選手は試合前にそれを頭に叩き込んでおく必要があるそうです。

たんなる「定石集」ではなく、部外秘の手作り感があります。

 

オンライン辞書には、簡単ではありますが次のような定義が出ています。

a set of ​rules or suggestions that are considered to be suitable for a particular ​activity, ​industry, or ​job: (Cambridge Dictionaries Online)

3. A set of tactics frequently employed by one engaged in a competitive activity. (The Free Dictionary)

 

やはり単体の戦略・作戦ではなく、それらを集めた「セット」であるところがポイントですね。

以下のウェブサイトには、ビジネス文脈でのplaybookが何を指すのか、詳細に説明があります。

www.accenture.com

 

 大手コンサル企業のサイトでこんな解説がなされているということは、英語圏でも比較的新しい概念、言葉なのでしょう。 

 

 さて、この言葉にふさわしい日本語訳としてはどんな言葉があるでしょうか?

「戦略集」

「定石集」

「作戦ノート」

いずれも間延びしていてピンときませんね。

かといって「プレイブック」では意味不明で翻訳と言えません。

今のところ、ケースバイケースで文脈に合わせて

「定石」「18番」「ルール」「常套手段」「決め技」

などと訳していくしかなさそうです・・・

スラングの"hack"は「難題にうまく対処するコツ」

シリコンバレーの著名人のインタビューを訳していたら

 

how to hack the challenge

they know a lot of hacks

 

といった表現をしていました。

一つ目は動詞、二つ目は名詞ですね。

 

"hack"はもともと

「斧でたたき切る」

「切り刻んで台無しにする」

なんて意味でしたが、コンピュータ用語として

 

「プログラムや機械を改造する」

「システムに不法侵入する」

 

という意味のほうが圧倒的に多く目にするようになりました。

「ハッキング」や「ハッカー」は日本語化したと言ってもいいでしょう。

 

この言葉はそこからさらに一歩進化して

 

「難しいことを巧みに解決する(方法)」

 

という使い方をされるようになっているみたいです。

日本語でも「ライフハック」なんて言葉をネットでよく見かけますね。

 

こんな新しい定義はもちろん紙の辞書には出ていませんが、オンラインの辞書には出ています。

例えば

Urban Dictionaryでは

a clever solution to a tricky problem

 

The Free Dictionaryでは

(Slang) To cope with successfully; manage

 

などと定義されてます。

日本語で一番近い言葉は「コツ」ではないでしょうか。

 

このようにネットやコンピュータ関係の言葉はやはり進化が早く、新しい意味がすぐに生まれるようですね。