主夫と翻訳

翻訳をしていると、日本語にするのが悩ましい言葉にたくさん出会います。検索すると、その言葉の訳語に悩んだ先人たちの声がたくさん見つかり、孤独な翻訳作業が少し楽しくなります。そして、自分もそんな言葉を残したくなりました。

英語は「不可算名詞」の扱いが苦手

 英語と日本語の最大の違いは何だと思いますか?

 いくつかの答えがあり得ると思いますが、

 

「英語は『何個か』という数を抜きにモノを考えられない。日本語は数を無視してモノを考えられる」

 

 というのは一つの答えだと思います。例えば 

 

「あそこに猫がいる」

 

と日本語で言う時、その猫が一匹なのか複数なのか、発言者も聞く人も意識しません。ところが英語では

 

I see a cat over there.

I see cats over there.

 

のどちらかの言い方しかあり得ません。

aもsも付いていない"cat"という言葉は、「猫というモノ=概念」を表す場合や、この世に存在するすべての猫を指す場合にのみに使う、極めて例外的な言葉なのです。

 

 で、ここからが本題なのですが、英語とはそこまで数にこだわる言葉のくせに、「数が数えられない名詞」が存在するんです。不可算名詞ってヤツですね。

 しかし、どうしても数にこだわりたい英語は、そんな不可算名詞さえもなんとか無理矢理にでも数えようとするんです。

 

a piece of information

a cup of water

five pieces of paper

some advice

a data set

 

 なんか涙ぐましい努力って感じもしますよね・・・

 ところがこれを馬鹿正直に日本語にすると、

 

「一片の情報」 「一杯の水」 「五枚の紙」 「いくつかの助言」 「一組のデータ」

 

となって、「数の情報に意味がある場合」(上記では5枚の紙)以外はなんかマヌケなことになってしまいます。

 もちろん文脈によるので、例えば「水を3杯欲しい」と頼んだのに「1杯の水しかもらえなかった」というような場合、つまり「1杯」に意味がある場合にはこの訳し方もありでしょう。

 しかし、たんに「何を飲みますか」と聞かれているのに、答えが「水を」ではなく「一杯の水を」ではやはり不自然ですよね。

 この英語と日本語の大きな違いを考えると、不可算名詞の訳出には、あえて数の情報を切り捨てることがなにげに大事ではないでしょうか?

 また、可算名詞でも、いちいち複数を日本語に反映させて、「猫たち」「経営者たち」「環境活動家たち」と訳すのはやはり不自然ですね。

 

 私は今まで英語の本や雑誌や文章を読んできて、こんな細かい文法的なことを意識したことはありませんでした。

 しかし翻訳をするようになって、このaとかsとか、もしくは定冠詞のtheにすごく敏感になりました。こんな小さなパーツなのに、文章の意味がガラリと変わる、すなわち正確な読解の大きなヒントとなることがけっこうあるからです。